掛川市議会 2022-12-19 令和 4年第 6回定例会(11月)−12月19日-06号
若き日の徳川家康公の活躍の舞台として、掛川城、高天神城、横須賀城が登場するのではないかと期待されます。そこで、お城での戦いの様子や掛川ゆかりの武将を紹介し、これらの城が歴史上重要な合戦の地であることを広く知っていただき、掛川市のシティプロモーションにつなげてまいります。
若き日の徳川家康公の活躍の舞台として、掛川城、高天神城、横須賀城が登場するのではないかと期待されます。そこで、お城での戦いの様子や掛川ゆかりの武将を紹介し、これらの城が歴史上重要な合戦の地であることを広く知っていただき、掛川市のシティプロモーションにつなげてまいります。
また、来春放映が予定される大河ドラマ「どうする家康」にちなんだアートプログラムとして、掛川市にも深いゆかりを持つ徳川家康の歴史を舞台としたダンス時代劇など、多くの方々に掛川城周辺で多彩な文化芸術に触れて楽しんでいただけるような企画を計画しています。 そのタイアップ企画としては、現在、しっくい壁の塗り替え作業などに取りかかる掛川城修復工事の現場見学会を実施いたします。
それから、静岡市として売り込んでいくべきものとしては、やはり徳川家康公をはじめとした歴史に触れ、親しむ観光をPRしていくべきかと。そして、あわせて、あまり堅苦しいことだけではなくて家族で楽しめて、子供さんの体験につながるようなものをするが企画観光局などで体験メニューをまとめたサイト等もつくってPRをしているところです。
歴史をひもとくと、かつて徳川家康公の御浜御殿が存在した場所、すなわち家康公ゆかりの地で、江戸幕府の禁教令発布から約300年後にこの教会は建てられました。太平洋戦争末期、清水空襲による空爆や艦砲射撃から戦火を免れた数少ない建物で、負傷者を教会内で手当てする傍ら、戦争終結への祈りがささげられるなど、平和を象徴する施設でもあります。
本市は、南アルプスから駿河湾に至るまで豊かな自然環境を有し、古くから今川氏や大御所時代の徳川家康公の城下町として独自の文化や産業を育み、発展を続けてきました。また、多種多様な農産物、しずまえ鮮魚などの食材にも恵まれています。さらに、有東木の盆踊がユネスコ無形文化遺産に登録されることになり、これら地域の魅力を生かし、観光誘客を進めていくことが重要であると考えます。
私、今72になりまして、今年年男、6回目の年男というのですか、7回目というのですか、生まれた年が1回目だとしたら7回目になるのですけれども、徳川家康さんもとら年なのです。今年が生誕480年、8回目の還暦というらしいのですけれども、家康さんの大功績と言えば江戸のまちをつくった。
35 ◯花村歴史文化課長 まず、プレオープンしてどのような資料を購入したかということなんですけれども、歴史文化施設──歴史博物館では、主なテーマを、徳川家康公、今川氏、それから東海道というようなことで決めておりまして、静岡市に関する資料の収集ということで行っています。
竹千代から元信、元康から家康、徳川家康とかそういうふうに、伊勢新九郎、北条早雲とか、これは自分が名乗ったわけではないですけれども。そのように時々の名前や地位や状況に合わせて、自分の責任で自分の名前を変えていった、これが本来の自覚的な日本の歴史的な名乗り、自分で自分を名乗って責任を持つという在り方だったわけです。
今回、大須賀、大渕、土方、中地区のまちづくり協議会と小笠山を愛する会等が協力して、小笠山南部、横須賀城、高天神城など、徳川家康に関わるハイキングマップの作成が計画されていますが、市として積極的に支援すべきと考えますが、見解を伺います。 ○副議長(二村禮一) 答弁を求めます。久保田市長。 ◎市長(久保田崇) この件につきましては、産業経済部長からお答えをいたします。
世界史上例を見ない260年の平和を築いた徳川家康、これが世界水準、徳川家康の歴史資源の性格であり、オンリーワンという答弁をされているんですけれども、非常に分かりやすいんですね。徳川家康に関わる歴史資源の世界性とは何かということがもっと語られる必要があると思うんですね。グランドデザインには全くそのことは書かれておりません。
静岡のものづくり文化は、徳川家康公と深いつながりがあると言われます。静岡の伝統工芸についての文献を見ますと、家具や指物、漆塗り、ひな人形づくりといった静岡の伝統工芸を語るには、江戸時代の大御所であった徳川家康公の時代まで遡る必要があります。 家康公が駿府城の築城、さらに、家光公が浅間神社を造営するに際し、日本全国から名工たちを集めたと言われています。
私は、静岡市を担う子供たちに、歴史博物館で徳川家康公をはじめとする郷土の歴史を学んでもらうことが大切であり、そのためには学校と連携してどのように取り組むかが大変重要であると思います。 そこで、質問いたしますが、プレオープンした後にどのような課題が把握され、1月のグランドオープンに向けてどのような対策を行っているのか、お伺いいたします。 また、令和5年1月には、大河ドラマ館も開館します。
5目教育費国庫補助金 1,150万円の増及び 1つ飛びまして、 7目商工費国庫補助金 190万円の追加は、大河ドラマ「どうする家康」の放映に合わせ、県及び関係市町が連携し、徳川家康にちなんだ事業を展開し、地域のブランド力を高め、観光客に選ばれる地域づくりを目指すもので、事業費の 2分の 1が国から補助されるものです。
98 ◯14番(森野善広君) 参道もいろいろな参道があるわけでありますけれども、八幡神社の参道は徳川家康、徳川幕府の誕生とともに、その前後に旧東海道を神社と結ぶ道として造られたという経過ですね。それはいいと思いますけれども、そういう由緒ある、由緒あるといいますか、そういう歴史的な背景のある参道であります。
◎協働環境部長(都築良樹) 六砦への取組についてですが、高天神城の周囲には、小笠山砦、能ヶ坂砦、火ヶ峰砦、獅子ヶ鼻砦、中村砦、三井山砦の 6つの砦があり、徳川家康が高天神城を奪還するために築いた重要な砦であったことから、これまで高天神城の展覧会の開催やパンフレットを作成し、その中で六砦についても情報発信を行ってきました。
そういったところへ周遊していただくことで、徳川家康公の功績、偉業というものが、他都市よりもより深く理解していただける場所だというところを強くプロモーションしていきたいと思っております。
来年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、徳川家康の生涯が描かれます。関係が深い掛川城、高天神城、横須賀城などの歴史資源の活用、講演会の開催や広域での取組を進めるなど、大河ドラマの放送に合わせて地域全体を盛り上げ、観光交流客数の増加を図ります。
1582年、本能寺の変で織田信長が明智光秀に討たれたとき、堺にいた徳川家康は慌てて伊賀の山中を抜けて三河へ逃げ帰ります。後に言う、神君伊賀越えです。このとき護衛を買って出たのが、服部半蔵に代表される伊賀、甲賀の忍者たちでした。静岡の福地家の祖先もその一員であったことから、後に駿河の国に住むことを許されたと伝え聞いています。話がファミリーヒストリーに変わってしまったので、大河ドラマに戻ります。
具体的施策としては、NHK大河ドラマを意識して、徳川家康公とお茶・ミカンといった視点からのPR事業を新たに展開します。また、中部横断自動車道や清水港といったインフラを生かした販路拡大事業や農産物の返礼品が人気となっているふるさと納税の活用などにより、国内外への情報発信を強化し、ブランド化を図ります。
駿府城は1607年に徳川家康公によって築城され、駿府のまちは江戸とともに政治経済の中心として栄えたと言われます。1635年に残念ながら火災で天守閣など建造物が焼失し、その後、再建はされませんでした。明治時代に陸軍歩兵第34連隊の誘致に伴い、天守台は壊され、本丸堀が埋められ、三ノ丸は官公庁や学校などの公共用地となりました。戦後には、この二ノ丸が今の公園に整備されたのであります。