富士宮市議会 2009-02-24 02月24日-03号
幕末からその歴史をずっと追っていきまして、遺品だとか、あと特攻隊の方々の遺書だとか、いろんなものが置いてあります。あそこを見れば、非常に先人たちは私たちのために戦ってくれたと、今の平和があるのはこの人たちのためであると、そして二度と戦争なんかやってはいけないということを子どものころから、小学生のころから教育しておいたほうがいいのではないかということで、次の要旨を質問させていただきます。
幕末からその歴史をずっと追っていきまして、遺品だとか、あと特攻隊の方々の遺書だとか、いろんなものが置いてあります。あそこを見れば、非常に先人たちは私たちのために戦ってくれたと、今の平和があるのはこの人たちのためであると、そして二度と戦争なんかやってはいけないということを子どものころから、小学生のころから教育しておいたほうがいいのではないかということで、次の要旨を質問させていただきます。
無料で入館できる記念館の入口に記帳台がありましたが、正直言って訪れる人も少なく、数多くの遺品や遺墨、関連資料も宝の持ち腐れ状態の感じがいたしました。また、生家の方も当時の名字帯刀を許された豪家の屋敷らしい堂々としたものであり、正確には不明だそうですが、200年ぐらい前の建物だろうと言われています。
木下杢太郎記念館費の展示物購入費に係る質疑には、当局から、木下杢太郎が編集者雨宮庸蔵に当てた自筆書簡3通を購入するもので、谷崎潤一郎から天守物語の装丁を依頼された旨の内容が記されているとの答弁があり、また、杢太郎に関する古書等はすべて取り寄せ、確認、精査を行い、必要なものは購入するとともに、本市に残る杢太郎の遺品については適正に保管しているとの答弁がありました。
宣伝費に関し、本市にゆかりのある阿久悠氏を伊東の観光に活用する考えはないかとの質疑がされ、当局から、遺品の提供に関して遺族との協議を進めており、今後提供していただける場合、展示会等で観光に活用できるイベントを考えていきたいとの答弁がされました。これを受け委員から、一時的なイベントだけでなく、常設的なものを考慮する必要性が述べられました。
また│ │ 意義をいかに考えるか │ │ │ │2 文化財の散逸を防ぐために │ │ 焼津市にゆかりのある先駆者や芸術家・文化人の作品や遺品を収集する必要があると考える
2点目として、宗一郎氏の遺品は本田家にとってはもちろん、浜松市においても大切に伝えていくべきものと考えますので、どのように扱うのかお伺いいたします。 3点目は、施設の名称ですが、単なるものづくり伝承館だけでは、地元や関係者の理解は得られませんので、何らかの形で本田宗一郎の名前をつける必要がありますことから、この点についてもお考えをお伺いいたします。
一方、先祖伝来の家屋敷はもとより、一切の家財を売り払って水防のために寄附し、身を堤防に横たえ、たびたび襲う洪水の苦難から救い、村々安堵の基礎を築くとともに、治水の根本は治山にありと、60歳に近い身をもって天竜の山奥に分け入り、天竜美林の造成につなげた金原明善翁においては、金原財団が昭和34年度に明善記念館を建設し、翁の遺品・遺墨を初め、関係資料等を陳列保存をもって顕彰するとともに、その遺風を後世に伝
また、地元小島には、藩主ゆかりの資料や遺品を所蔵する方もおります。資料をやってあるんですが、写真は、新聞にも書かれていますように、全国唯一存在する江戸時代の武士たちの屋敷跡です。現在は石垣と書院が別々の場所にありますが、自治会住民は、いずれは書院を石垣のある陣屋跡地へ戻して、史跡として保存していきたいと思っております。
展示品は、遺品類・書簡類・直筆の原稿・図書を含め242点である、との答弁がありました。 次に委員より、ビデオを放映するなど、子どもたちに見せる工夫をすること、八雲顕彰会と十分な打ち合わせをすることで、子どもたちに受け入れられる施設にするよう、要望がありました。
2)として、戦争中の遺品や資料の保管及び展示を受け持つ資料センター、これは仮称ですけれども、資料センターを設けるべきと考えますが、いかがでしょうか。3)として、子供たちを広島や長崎へ派遣する取り組みや地域での平和展などへの援助を積極的にすべきと考えますが、いかがでしょうか。 (3)として、県内14市27町村で非核平和都市宣言をしています。
秩父宮記念公園の管理運営につましては、平成14年8月の全協の際にもお話をさせていただいたところでございますけども、整備の方針としては、一つ目には秩父宮両殿下を記念する公園として、両殿下の生活の様子、遺品の展示、記念の庭などから歴史観、生活観をうかがえる場とすること。あるいは記念の庭は将来にわたって造り続ける庭であることから、来園者は個々の生活に生かされる自然との触れ合いを提供できる場とすること。
また、市及び小泉八雲顕彰会等所有の八雲に関する遺品、書簡、原稿、書籍等の資料を展覧する特別展や、講師とともに市民が市内の八雲ゆかりの史跡を訪ねる八雲ゆかりの地めぐりなども開催する予定でございます。 次に、第五福竜丸事件が被災から50年である。特別展の事業内容についてのお尋ねでございます。 歴史民俗資料館では、第五福竜丸事件の特別展を計画しております。
いまだ埋蔵して日の目を見ない資料、おじいちゃんおばあちゃんが大事に残されてきた遺品なども、受け継ぐ家族でその価値がわからなければ捨てられてしまう可能性もあります。ただ、資料収集に当たっては、焼津の方向性を明確にしておかないと、資料の発掘はできません。
小泉八雲記念館建設については、御指摘のように第3次総合計画の中で施策として方向づけ、構想策定事業として、現在建設方法等について調査を進めてまいったところでありますが、収蔵品の収集についても思うようにいきませんで、八雲に関する遺品、資料が大変少なく、困難な状態であります。
また、杢太郎自身、多くの遺品や作品は、遺族の意向もあり、横浜の神奈川県立文学館に寄附されております。しかしながら、記念館にもかなりの品々が保存されておりますが、古い建物を改装したことから、ご指摘のように保存、展示には十分な条件となっていないことは承知をいたしております。
清見寺には、これらの武将にかかわる遺品や遺構など、文化財が数多くあるわけでございます。江戸時代、宿駅制度の実施により、東海道五十三次の宿駅が設置されるや、交通のかなめに位置する興津の宿は、風光明媚な景観と相まって、活況を呈し、清見寺膏薬とか、あるいは興津鯛で有名で、清見の寺の立て場は、東海道の名所として、特ににぎわったわけです。
高浜虚子を師と仰ぎ、虚子を通じまして多くの文人画家とも交流があり、高浜虚子はもとより正岡子規や松尾芭蕉、小林一茶等の直筆の書や短冊、あるいは拓本など、我々凡人にはわからない、専門家にすれば大変貴重な財産を遺品としてこの木村家に残されております。また、この木村翁は長泉町内の3つの神社等に俳句の石碑を建立されております。 このようなことを日大の関口先生という方が詳しく今調べてございます。
そのテーマの1つに多田元吉翁の顕彰があり、多田家から遺品もお預かりしておりますので、今後、静岡茶発展の功労者としての足跡をまとめた展示会の開催や紅茶の原木の顕彰などについて検討していきたいと考えております。
まず、2001年、平成13年になるわけですが、県内全域で開かれる東海道 400年祭、残念ながら当市は拠点イベント会場にはなりませんでしたけれども、ちょうどこの年は島田大祭の年、また当市の民俗資料館も故海野光弘氏の遺品の展示スペースも計画されておるとのことでもありますし、また、中心市街地の和風まち並み整備も恐らく本通北側は完成されてくると思われますので、ぜひこうしたエントリー制度に応募しまして、ソフト
これには平野富山、三保神社や羽衣に関係するもの、エレーヌ・ジュグラリスの遺品等を展示する。常設展示。あまり変わっていないと思っているわけですね。和田栄作という名前が新たに出てきたという問題ですね。収蔵庫は広く取る、こういうことが言われていたわけですね。 それで能舞台、ここです、問題は。常設で、本格的な能舞台とするという構想が出されてきていたわけですね。